山中城跡を訪れた翌日、駿府城を目指しました。
ここは徳川家康が隠居後の晩年を過ごした城です。最近、発掘が進み、豊臣秀吉時代の天守跡が見つかったと話題になったところです。

東名で沼津インターから一路静岡へ。途中の由比パーキングエリアから駿河湾越しに富士山が見えました。富士山はいつ見ても美しいですね。

さて、駿府城ですが、家康は生涯で二度、駿府城を築城しています。最初は天正期に二の丸と本丸を作りました。二度目は江戸幕府の礎を作り隠居した後、天下普請として三の丸まで城を拡大しました。この時、五重七階の壮大な天守が作られましたが、城下で発生した火事により天守は焼失し、その後天守は再建されませんでした。したがって、駿府城に天守があったのはわずか25年ほどです。
駿府城横の文化会館に車を停め、いざ駿府城へ。ちなみに、駿府城は、本丸の周りを堀を挟んで二の丸が取り囲み、さらに堀を挟んで三の丸が取り囲むという「輪郭式」と呼ばれる縄張りになっています。分かり易い構造ですね。
文字通り城の東側にある東御門。三の丸から二の丸への入り口です。平成8年に復元されました。

東御門の隣には巽櫓が続いており、本丸の防御を固めています。

二の丸堀に沿って、城の南側へ。途中、「わさび漬け発祥の地」の碑が。わさび漬けって静岡が発祥なんですね。

堀を渡って二の丸に入ると「二の丸御門跡」があります。今は石垣が残っているだけです。向こうに見えるのは静岡県庁。駿府城は静岡市の市街地の真ん中にあるのです。


実は駿府城、明治維新になってすっかり取り壊されてしまい、本丸の堀も埋め立てられ、天守台も残っていません。現在は駿府城公園という公園になっています。

そして最近、天守台の跡で発掘作業が進められています。発掘現場は一般人も見学できるようになっています。


これが発掘された天守台の石垣です。手前が本丸の堀だったところですね。


発掘された石垣の石には、天下普請で動員された大名達の刻印が残されています。


発掘された石垣を見ると、石垣の構造が良く分かります。表面の築石の裏側には裏込め(栗石)という拳大の川原石が大量に詰められています。所々石垣と垂直に大きめの石が並んでいるのは栗石を区画しているもので、栗石を詰める作業の単位となっていたと考えられるそうです。

ここが最近豊臣時代の天守台から金箔付きの瓦が大量に発見された現場です。

天守台を後に坤櫓へ。坤櫓は平成26年に復元されたものです。後ろに見えるのは静岡病院。無粋ですが街中なので仕方ないですね。

復元された櫓の中は、当時の構造が分かるように床板や天井が一部外されています。


背景にビルが入らないように撮影。ちょっと入ってる(笑)

公園(本丸)のほぼ真ん中にある「徳川家康公の像」。

こちらは、「家康手植のミカン」。紀州から贈られたものを家康自らが植えたものと伝えられているそうです。鎌倉時代に中国から渡来したコミカンの一種で種があるそうです。もとは盆栽だったというから驚き。

美味しそうですね。毎年収穫されて市役所で市民に配られるそうです。

発掘された本丸堀の一部が復元されています。

二の丸にある紅葉山庭園。紅葉の見頃の時期は綺麗でしょうね。



先ほど素通りした東御門の中にも入ってみました。


この鯱は、堀の底を発掘中に発見されたもので、おそらく江戸時代の地震で東御門の上から堀の中に落ちたものであろうとのこと。往時を偲ばせる貴重な品。

ガイドの方の話では、駿府は江戸の実験モデルとして作られ、金座や銀座などの街が整備されたそうです。家康が他界した後、江戸に多くの町民が移住したそうで、東京の銀座もそうですが、駿府から移住した町民が開拓したのが今の駿河台とのこと。
その後、政治の中心は江戸に移り、駿府は閑散として武家屋敷も皆江戸に移住してしまい、草茫々となったそうです。
駿府は見どころが沢山あり、とても一日では見切れませんが、折角なので家康が眠る久能山東照宮まで足を伸ばすことにしました。家康が埋葬されているのは日光東照宮ではなく、ここなんですね。ちなみに、久能山には武田信玄が駿河を支配していた時代に久能城が築かれました。


プラモデルのはじまりが静岡からとは知りませんでした。

東照宮はやはり荘厳ですね。

家康が眠る御廟。

帰りのロープウェイから、駿河湾と夕日。

ということで、以上、駿府城と久能山東照宮でした。


