1月の沖縄以来、ほぼ2ヶ月ぶりにお城巡りに出掛けました。行き先は最初、掛川城だけを考えていましたが、折角一泊で行くのならということで、愛知県の長篠城まで遠征することにしました。

自宅から長篠城まで、途中の高速道路さえ混んでいなければ、半日掛からない位です。新東名の一部区間は最高速度が120kmまでOKとなっていました。

途中のサービスエリアで昼食を取り、長篠城址公園には昼過ぎに到着。
長篠城は、有名な長篠の戦いの前哨戦となる戦いが行われた場所で、甲斐の武田家と三河の徳川家との戦いの最前線となったお城です。武田信玄亡き後、跡を継いだ武田勝頼が1万5千の兵で、500の兵が立て籠もる長篠城を取り囲みました。
この時、城を抜け出して徳川家康に援軍を求めに行った帰りに武田側に捕まり磔になったのが、鳥居強右衛門です。強右衛門は、「援軍は来ない」と言えと強要されましたが、「援軍は来る」と叫び、壮絶な最期を遂げました。これにより城兵の士気が一気に上がり、城は持ち堪え、長篠の戦いへと繋がったのです。

長篠城趾は、本丸跡とそれを取り囲む堀と土塁が残されています。



城の南側は宇連川と断崖により、堅固な守りとなっていました。川を挟んで、武田側の砦が築かれていましたが、武田本体が決戦のため設楽原へ進出した後、酒井忠次の軍勢に急襲され、追い落とされてしまいました。




せっかくなので、長篠の戦いの戦跡を少し巡って見ることにしました。
長篠城趾から北に歩いて行くと二の丸跡に。

さらに歩いて行くと大通寺へ。ここから歴史探訪コースに沿って、武田勝頼本陣跡まで行ってみました。

大通寺は、武田軍の武将馬場信房が陣を敷いた場所で、お寺の裏にある盃井は武田四将が、決死の腹を固め、別れの盃を交わした井です。



大通寺山陣地の跡を通って医王寺へと山中を歩きます。



医王寺は、武田勝頼が本陣を構えた場所です。


頂上の物見櫓を目指して山を登ります。


長篠城は、激しい攻防戦により損壊が激しく、長篠の戦いの後、廃城となったそうです。
以上、長篠城でした。


