「道の駅 きりら坂下」にて朝食
道の駅 きりら坂下で車中泊した翌日も良い天気になりました。車中泊している車も何台か見られました。この道の駅はショッピングセンターと隣接しているので、買い物にも便利そうです。


ベッドを片付けた後、朝食は昨日「ほっとサロン」の近くのセブンイレブンで買ったパン、サラダ、ゆで卵をコーヒーとともに。ほんとコンビニは便利ですね。

朝食後、岩村城跡へ移動。岩村城跡の最寄りの駐車場は、岩村歴史資料館前の無料駐車場が便利です。

岩村城はほとんど登山
岩村城は、高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県)と並んで日本三大山城にの1つに数えられています。1185(文治元)年、源頼朝の御家人 加藤景廉(かとうかげかど)がこの地の地頭になり築城され、その子孫の岩村遠山氏が戦国時代まで城主でした。戦国時代には織田氏と武田氏の攻防の舞台となりましたが、江戸時代を経て幕末まで城と城主が受け継がれました。ちなみに江戸時代の諸藩の城としては最も高いところ(標高717m)に築かれ、高低差180mを活かした堅固な城でした。
岩村歴史資料館の駐車場から案内に従って歩くとすぐ登城口があります。登城口から最初のうちは舗装された道ですが、少し行くと石畳や石段の道になってきます。結構傾斜があって登山に近いです。


藩主邸から一の門まで続く石畳の藤坂は結構な急坂です。

道端にはシャガの花が咲いていました。

ここは有事の際に門を建てて通行を遮断できるようになっていたため初門と呼ばれていたそうです。登城坂の途中で鉤の手に曲げられて真っ直ぐに進めないようになっています。

木立の間を登城坂が続きます。暑い時期は大変かも。

しばらく登ると大手一の門の跡が見えてきました。二層の櫓門があり、左側には多門櫓、内側には番所がおかれていたそうです。右側の石垣の上にも土塀があったようです。

次は土岐門(ときもん)跡。岩村城第二の門で内側は馬出状の曲輪になっています。土岐氏を破ってその城門を移築したという伝承からこの名前が付いたとのこと。

左右に石垣が張り出しているここは「畳橋」跡。左側の石垣の上から右側の石垣の上に木橋が架けられていました。木橋の床板を畳のようにめくることが出来たことから「畳橋」と呼ばれていた由。

追手門・三重櫓跡の向こうはいよいよ城内です。大きな石垣が見えてきました。

城の奥へと続く道。向かって左奥は八幡曲輪、右奥には二之丸があります。

ここは八幡曲輪。石段の上には八幡神社が祀られています。

八幡曲輪の反対側には「霧ヶ井」と呼ばれる井戸があります。岩村城の別名「霧ヶ城」の由来となった井戸で、敵が攻めてきたとき、秘蔵の蛇骨をこの井戸に投じるとたちまち霧が湧いて城を守ったという言い伝えがあります。


二之丸横の石垣は山の地形を利用していて形が菱形になっています。山城特有のものらしい。

岩村城の特徴である高い石垣は本丸まで段状に積み上げられています。全部で6段あるので六段壁と呼ばれています。


本丸に続く入り口にある「長局埋門」(ながつぼねうずみもん)。石垣の間が門になっていてその上に石垣を跨ぐ形で多門櫓が載った形状の櫓門でした。

石垣を登り切ると本丸に到着。結構な広さがあります。かつて織田信長が甲州征伐を行い、武田勝頼を滅ぼした際には、家臣の明智光秀等と岩村城に滞在し、ここで武田氏滅亡の報せを受けたそうです。

本丸にある「昇龍の井戸」は、標高717mの頂にありながら水が枯れることは決してなかったと言われている不思議な井戸です。

本丸の裏門。こちらも埋門(うずみもん)となっていて、堅固な防御態勢だったことがわかります。野面積み、打ち込み接ぎ、切り込み接ぎの三種類の石垣の積み方が一度に見える日本でも大変珍しい場所とのこと。



