2022年11月の連休を利用して、琵琶湖周辺の100名城巡りの旅に行ってきました。今回の旅の目的地は、滋賀県長浜市の小谷城、近江八幡市の安土城、観音寺城、彦根市の彦根城です。最初は琵琶湖畔のキャンプ場に本拠地を構えて城巡りしようかと思いましたが、2泊3日の強行軍ということもあり、今回はキャンプは諦めました。
まず、初日は小谷城を目指して、高速をひたすら走り続けました。静岡県は東西に長いですね。やっと愛知県に入り、関ヶ原を抜けて、滋賀県長浜市へ。

目指す小谷城は、滋賀県長浜市湖北町という琵琶湖の東岸に位置し、小谷山という山全体を利用した大規模な山城です。
小谷城は、浅井(あざい)家三代に渡る居城として有名です。中でも浅井長政は、織田信長の妹、お市の方を妻に迎えましたが、越前の朝倉氏と手を結び、織田信長に反旗を翻したため、織田信長に攻められ、1573年(天正元年)ついに落城し、浅井氏は滅亡しました。小谷城はその後廃城になりました。
時間も結構遅くなってしまいましたが、「小谷城跡ガイド館 浅井三代の里」の駐車場に車を停めたところ、係の方に中腹までは車で行けると教えていただき、中腹駐車場まで登りました。下から登ったら結構大変ですね。駐車場からしばらく歩くと、小谷城の痕跡が現れ始めます。

城跡からは眼下に田園風景が広がっています。かなり高いところにあり、堅固な山城だったことが偲ばれます。

「首据石」という物騒な石は、浅井亮政が敵に内通した家臣の首をこの上に晒したと伝えられています。

大広間黒金門の南に位置した「桜馬場」という曲輪の跡。その下には御馬屋や馬洗池などがあったようです。


小谷城本丸手前の大広間跡。別名「千畳敷」と呼ばれ、小谷城では最も広い廓の跡です。ここには屋敷があり、戦時には麓の屋敷からここに移って生活したそうです。正面に見えるのが本丸跡の石垣。

こちらが本丸跡。天守の構造については不明とのこと。

本丸とその上の中丸とを区切る大堀切跡。防御力を高めるために作られたものです。

さらに進むと、京極丸跡があります。京極氏の屋敷があったところと伝えられており、天正元年(1573年)の小谷城の戦いにて羽柴秀吉に攻め落とされ、浅井久政の守る小丸と長政が籠もる本丸との間を分断されたそうです。



小谷城の詰めの丸であった山王丸は標高400mに位置し、南側の石垣は崩落していますが、東側の「大石垣」が当時の痕跡を残しています。



山王丸東側に残る「大石垣」は高さが約5mあり、本丸の石垣の規模を上回っていたようです。



小谷城を登っているうちに陽も傾いてきて、琵琶湖には夕日が反射していました。昔、浅井家の人々も同じ景色を眺めていたのでしょうか。

小谷城から宿泊先である彦根市のホテルに向かい、チェックインしました。今回は同じホテルに2泊しました。夕食は彦根駅前にある「八千代」というお食事処で「彦根丼」を食べました。近江牛と赤こんにゃくが入っていて、彦根ならではのメニュー。美味しくいただきました。

明日は観音寺城と安土城に向かいます。(つづく)


