日本100名城を巡る(33/100) ー 山形城

城巡り

さて、いよいよ山形城です。

山形城は、最上氏の祖である斯波兼頼が築城し、最上義光が城郭を拡大して、出羽山形藩57万石の本拠となりました。出羽の関ヶ原合戦と言われる「長谷堂城合戦」で、直江兼続率いる2万3千の上杉軍に攻められた際に、城郭が霞で隠れたことから「霞ヶ城」とも呼ばれていたそうです。現在城跡は霞城公園になっていますが、上杉軍を撃退した最上義光を讃える「最上義光公勇戦の像」が建っています。

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 こちらが、二の丸東大手門。山形城の正門で、平成3年に日本古来の建築様式で復元されました。

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二の丸の堀は広くて深い。山形城は輪郭式と呼ばれる城郭で、本丸の周りを二の丸、その周りを三の丸が取り囲むような縄張りになっています。駿府城と同じですね。

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山形城の石垣は、市街地を流れる馬見ヶ崎川の玉石を用いた野石積みで、優美で堅固。
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二の丸東大手門の入口にある高麗門。

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こちらは高麗門を内側から見たところ。高麗門の特徴である控え柱の上の切妻屋根の構造が良く分かります。
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高麗門を抜けると巨大な枡形になっています。枡形の南北に多聞櫓をもつ独特な形式は珍しいとのこと。
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櫓門の復元に使用された梁材には、200年以上持つように無節の台湾檜が使われているそうです。

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多聞櫓の内部。手斧で削られた梁など、忠実に再現されています。

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櫓の内部から高麗門を望む。敵が来たら狙い撃ちですね。
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二の丸の内側から二の丸東大手門を望む。大きさに圧倒されそうです。

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こちらは、本丸一文字門の石垣。本丸一文字門は、元和8年(1622年)以降の山形城の修復の際に築かれた城門とのこと。

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本丸一文字門は本丸の大手にあたり、大手橋、高麗門、枡形全体の呼び名です。
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枡形の櫓台石垣の上には櫓門があり、漢字の「一」の字の形をしていたことから、一文字門と呼ばれていたそうです。一文字門は復元予定だそうです。

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本丸の堀は今は水がありませんが、いずれ水を入れる予定とのこと。本丸の復元にかなり力が入っています。
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こちらは二の丸南大手門の石垣。

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二の丸南大手門の全景。この門も相当大きな櫓門があったようですね。
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二の丸の堀。ここも幅の広い堀になっています。
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最後に山形藩の歴代藩主です。初代藩主の最上義光の時代は57万石でしたが、最後の水野氏の時代には5万石と10分の1になってしまいました。5万石では巨大な山形城を維持するのは難しかったようです。

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ということで、以上山形城でした。